2006年05月13日

例えば、年中日に照らされてすっかり薄くなった籐の椅子ベージュ

あの椅子に座って、あなたはずっと本を読んでいました。
せっかく買った補聴器も、耳元でうるさいからと怒って棚にしまい、誰にもじゃまされずに本を読んでいました。
本は決まって青の表紙。
何回もめくったからでしょう。あの青の表紙は、折り曲げられたところを白くして、今では青と白のストライプになっています。

たまにあの椅子に座ってあの本を開くと、あなたの指の後が残っていたりします。その後を見ていると、急に開いていたページに隙間無くあなたの指の後が、黒く、はい回るようにして現れるのです。私は息を飲んで閉じます。これは、単なるいたずらですか。それともあの時の仕返しですか。

あの後、小さくなってしまったあなたを連れて、私は父の運転する車の窓から遠くを見ていました。あの日の空は、薄い、赤ちゃんコットンのような雲が、ぽん、ぽんと浮かんでいるだけで、その上は真っ青な空があるんだな、そう分かるような空でした。車の振動に体をまかせながら、いつもより肩に力の入っていない母は言いました。
「あの本も、一緒に行かせてあげればよかったね。」
小さな小さな、蚊の鳴くような声でした。
ねえ、気が利かない私で、ごめんね。
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posted by 加晴 at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月12日

例えば、風雨にさらされて幾つもひびの入った瓦の灰色。
3才のわたしにとって、この家は何もかもが大きかったのです。ついさっきまで私の全てだったあの社宅が、限りなく小さく見えたものでした。
大きな門に、大きな屋根。雨が降ると色が変わる土壁に、日に焼けた障子。アニメに出てきそうな木造のこの家を、
「まるで武家屋敷ね。」
縁側から、眼前に広がる中庭を見渡して母はそうつぶやきました。

私にとってはそんな良い物ではなかったのです。古いトイレ、日本人形がずらりと並ぶ床の間、「奥の部屋」と呼ばれる離れ。どれも自分一人ではいけませんでした。怖いものだらけのこの家。暗闇には近づくことすら出来ませんでした。

でも、一つだけ、たった一つだけ、お気に入りの場所がありました。
ねえ、覚えていますか。
幼稚園から帰ってきて、靴を脱ぎ捨てる。高い土間にあがって障子を開けると、辿り着くのです。
「おぉ、お帰り。」
あなたの膝の上に。
私は思い出せます。あなたの体温、首のしわ、肌のやわらかさ、指の毛、息のにおい、長いまゆげ、足の裏の硬さ。思い出すたびに目の奥がジリジリするのです。あれから4年がたったけれど、このジリジリは、まだまだ止みそうにはないのです。

posted by 加晴 at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月11日

例えば、あなたの奥さんがつくった梅エキスの黒。
おなかが痛いときに舐める、あのエキス。ジャムの感触にちょっと似ていたやつです。そう、お箸を逆さにして舐める、あれ。
昔からお腹の弱い私には、あのエキスが魔法の薬に見えたものでした。口にして、その鼻の奥を刺激する酸味を少し我慢すれば、お腹の痛みはすぐに消えてしまう魔法。今、魔法の薬はどこにあるのでしょう。確か、最後の一瓶になった時、母がその魔法の小瓶を見つめながら言いました。
「もったいないから、残しておこうね。」
だからきっと、あの小瓶は食器棚の奥で眠っているはずなのです。次に魔法にかかる人を待ちながら。
一つだけ、怒らないでほしいことがあります。私はあなたの大切な人、私とあなたを結び付けた人の顔を、もう覚えていないのです。床の間で、あなたの写真の隣で笑う、モノクロの女性を見ても、それがあの小瓶と結びつくことはありません。
思い出すものは、あの梅エキスをさしだす、方言の強い女性の声ばかり。
「ほら、こいを舐めればよかが。」
もうこの一声だけが、14年間も私の中で、空虚な女性像を作り上げています。ぐるぐる、ぐるぐると。
もう治療をしないでこのまま死なせてくれと、医者に強く言った、あなたの勝ち気な奥さん。
ねえ、彼女は、私をこの家へ、呼びたかったのではないかしら。あなたと住む、目の奥が熱くなるようなチャンスを、私にくれたのではないかしら。もう、魔法の薬を作ってあげられない代わりに、魔法にかかってしまいそうな色を、私に教えてくれたのではないかしら。
posted by 加晴 at 15:46| Comment(0) | TrackBack(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月10日

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posted by 加晴 at 17:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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ねえ、私には忘れられない色があるのです。
母にも言うことができないでいます。大切な物は胸にしまっておきたいものなのですね。
スーパーのクレパス12色では、表現することができませんでした。だから、白い画用紙の真ん中に、赤い丸をかいて、それを塗りつぶしました。あなたは「日の丸だ、戦争だ。」といって拳を胸に、立ち上がりそうですが、そうではないのです。それに重ねて青を塗りました。次に緑、黄色、肌色。そう、これは実験。でも、実験は失敗です。ここにある色は、重ねていけば重ねていくほど、汚い色になっていくのですね。
でも、あなたの横で見る色は、いつも透き通った色でした。14年間、どんなに積み重ねようと、一度も汚くなることはありませんでした。美術の教科書にも、あんな色は載っていません。
こっちには、もう、あの色達はないみたいです。籐の椅子の上にも、縁側にも、床の間にも、もう、どこを探してもありません。
ねえ、そっちにはあるのですか。返事は待っても帰ってこないのですが。
あなたは赤ちゃんに戻りかけながら私にいいました。
「お前はおれの、恋人やっど。」
その恋人に、あの色をもう一度見せてはくれないのですか。
あなたはへそ曲がりな人だったし、頑固者だったから、素直に見せてはくれないのかもしれません。
ねえ、それでもやっぱり、私には忘れられない色があるのです。
posted by 加晴 at 16:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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